2013年12月26日

政治と日本語

「日本語は曖昧」という言葉を聞いた。
これは全く無意味だが、例えばオーウェルが政治の文脈で英語の文章に厳しく対決したような努力が、日本語で十分になされてはいない。最近の政治がここまで混迷した一因は、政治における思考と文の混乱と腐敗を放置してきたことにあるとさえ感じる。

オーウェルは、政治を伝える新聞記事・評論・政治意見など政治にまつわる文章で、曖昧な英語や無意味な文を使うことの弊害がいかに大きいかを、「1984」や「政治と英語」で詳細に検討。しかし、この方向での検討は、日本語で十分になされたとは言えない。

そもそも、日本語で明確な意味を伝え、論理的にそれを読む努力が日本で広く行われていたならば(これは英語圏では非常に大きな努力を払って行われていることですが)、「政治とカネ」をまつわる無意味な記事の大量放出も、それに国民が踊らされる事態もなかっただろう。
posted by 小野昌弘 at 07:22 | TrackBack(0) | 政治・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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