2012年11月30日

日本の民主主義の危機と「未来」

日本の民主主義は危機にある。そしてその未来は12/16の国民の判断にかかっている。

福島原発の悲惨な状況を背景に、歴史的にめずらしいほど反原発のデモが盛り上がった。そしてさらにいっそう多くのひとが、放射能汚染の広がる現状に静かな怒りと悲しみに沈み、あるいは大きな疑問と失望をもって今の混乱した社会を呆然と眺めている。ところが、この(本当の)多数派の国民の立場を受け止める政党勢力がこれまで存在しなかった。いや、存在したはずだったのだが、09年以来の検察の違法行為とそれに協力するマスコミ、憲政の基礎もわかっていない与野党の政治家の愚行により、国民のための政治勢力が分断・転覆され、政党政治が蹂躙され、麻痺させられた。そしてこの混乱状況に乗じた維新ら極右勢力と安倍自民がマスコミの全面支援をうけて勢力をのばしてきた。

マスコミの情報だけをみていても、社会と政治がおかしいことだけは分かるはず。そのためだろう、政権交代後の民主党に幻滅した年配男性を中心に、自民への郷愁・幻想があるようだが、高度成長期にあったような社会的に広い層と一体となった自民は随分昔に消滅している。いまの自民は右翼政党で、極右政党である維新と連立を組みうる危険な政党である。現在の日本は、西欧の知識人なら相当な危機意識をもって自民・維新の極右政権誕生を阻止するための運動を起こす、政治の危機にある。戦前以来の民主主義の危機である。

この危機的状況下での日本未来の党への脱原発勢力の結集を全面的に歓迎する。「未来の党」の政策は、原発廃炉・消費税増税凍結・TPP反対・自立外交で、国民の「暮らしを守る」立場が鮮明である。民意が真に求めている方向はここにあると思う。未来の党結党のおかげで自民=維新による右翼=極右の大政翼賛会成立を止められる希望がかすかにみえてきた。

今の日本の民主主義は、危機に瀕しているとはいえ、かつて大政翼賛会を結成し中国・米国との戦争に駆り立て国家を破滅に導いたときほど脆弱なものではないと信じる。国民と日本の将来を守るために、未来の党を中心に、政治家たちが小異を捨てて大同団結した。今度は国民が団結して,民主主義を守るために行動するときである。本当の争点をひた隠しにするマスコミの操作にまどわされてはいけない。自分たちの暮らしと命を守ってくれる政治家たちに間違えずに投票しなければならない。

いま選挙を通じて自分たちの暮らしと命を守ることは、民主主義をまもることにつながり、ひいては極東の平和、世界の庶民の生活を守る事につながる。亀井氏が「日本、世界の危機を救う」と言っていることは誇張ではない。

実は、福島原発の事故処理と計54基の原発の方針決定という巨大な問題は、科学技術だけでは解決できない。政治の力だけが人間の力・技術と信頼を結集する事で問題解決にあたれるのだ。すっかり麻痺してしまった民主政治を再生させることが、原発問題解決のための第一歩である。

鳩山氏の言葉を借りれば、「経済や金融をもてあそび、勇ましい発言を続け、先祖返りをしようとしている人びと」は民主主義と国民の敵である。「弱者の声に耳を傾ける」ひとたちこそが国民の味方である。「見えない放射能におびえる、若い母親たち」に象徴される今日本で苦しんでいる多数の弱者に気持ちを寄せているのは、『未来の党』しかない。

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2012年11月29日

鳩山氏政界引退に思う

鳩山由起夫氏は今月(2012年11月)の政界引退表明にあたり、『不出馬にあたって』というメッセージを発表している。

氏はこのメッセージで、沖縄の基地問題・平和外交・東アジア共同体という大きな道しるべを「次代の日本を担うあらゆる若者」に示し、語りかけている。そして「見えない放射能におびえる、若い母親」ら弱者の声に耳を傾ける政治をできるひとが味方なのだと言う。ぜひ多くの人に読んでもらいたい。
それにしても、真の新政権は鳩山政権だけだったとあらためて思う。この歴史的政権を、マスコミはくだらない「政治とカネ」で攻撃し、外務・財務官僚・民主党前原・岡田らは米国側の人間として(Wikileaksで暴露)サボタージュ・後ろから刺し、国民はその煽動にのって、皆で潰してしまった。

2年前の私のブログ記事、鳩山政権崩壊のすぐ後に書いた文章を、この場でもう一度紹介させていただきたい。
「なぜ怒りがアメリカではなく鳩山にむかったのか」

posted by 小野昌弘 at 08:19 | TrackBack(0) | 政治・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月14日

「市民」が検察を飲み込んだとき何が生まれるか

検察審査会は司法機能の脆弱性であることが露呈している。ウイルス感染のようにここから侵入されて司法機能がハイジャックされつつあるようにみえる。(脆弱性が意図的に用意された可能性あり)。そして、病原体のように、顔が見えず得体の知れない「市民」と「選定弁護士」たちが司法を恣意的に運用し始める。

検察組織の腐敗が表のメディアでも明らかになりつつあるこの状況で、「誤った検察」を糾弾する存在として検察審査会の「市民」が登場したのは偶然ではなく、計画的な筋書きがあると思う。この筋書きが受け入れられたならば、両者(検察組織と「市民」という権力)とが矛盾なく共存する。

このままでは「市民」が超法規的存在になってしまう。このような存在を決して容認してはいけない。超法規的存在は、いつの時代で最も危険。かつての治安維持法であり愛国者法である。今、「市民の判断」がそれになるのか。一度この存在を容認すれば、現行の検察組織よりもさらに恐ろしい怪物が生まれる。

いま検察権力をハイジャックしようとしている「何か」は、マスコミと歩調をあわせている。無論、マスコミは特定の外国と協調。これらの中心にあるものが社会の生命を左右する病原体である。今こそ、責任をとらない「市民」よりも、責任をとる政治家が優位であるという、間接民主主義の原則を確認したい。

(2010年10月6日 小野昌弘@masahironoつぶやきより)

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