2010年10月14日

いま良識の仮面をかぶった政治弾圧が国民生活を揺るがしている

今の日本に、政治犯として弾圧されている政治家がいることを、日本国内および国際社会で訴えていく必要性がかつてなく高まっています。たとえば、ビルマ軍事政権下で拘束されているスーチーは、不当に弾圧されている政治犯としての広い認識あり。それと同じことが民主主義を標榜する日本で起きている。

日本における政治弾圧の特徴は、巧妙にソフトであること。マクロにはマスコミでの情報操作、市民一人一人のミクロなレベルでは学級会な正義感・町内会的な秩序感覚が利用されていることでしょうか。カネの問題を英語に訳すとfunding scandalになってしまい、政治弾圧の性格が隠れやすい

市民の良識を、管理社会の技法にとりこんでいくやり方は、ジョージオーウェルの「1984年」を連想させます。管理社会の本質をぼかす政治的効果を持った1Q84ではなく、今こそ「1984年」が重要です。大げさなSFに見えるかもしれませんが、今の日本社会こそソフトな1984年だと思います。

いま政治弾圧に対抗して、生活を守るためには、マスコミという権力と、幼稚な市民的良識・正義感の2つと闘う必要があるようです。国民が政治には関心をもち、スキャンダルにこそ無関心でいられれば情報操作に対する耐久力がつきます。政治家は政治での良識と力量で判断されるという当然の事を望みます

昨今の政治弾圧では、一見物理的な血は流れていませんが、精神的な血は至る所で流れています。死者がでるような弾圧など存在しないようでも、マスコミは社会的死刑を主導し、検察やマスコミは実際に自殺という形での犠牲者を出す。こうした新しい形の政治弾圧に対抗するには、既存の枠組みだけでは無理なのではと強く懸念します。

問題が幅広いので、マスコミ権力との対峙・国家のありかた・各人の意識内の問題、など、さまざまなレベルでの取り組みが重要と思います。今の日本では、社会変革と国家の独立が裏腹の関係です。だからこそ、私は各自の身近な努力の集積とゆるい連帯の中に、社会と国の将来への希望を見ます。
(2010年10月4日 小野昌弘@masahironoつぶやきより)

人気ブログランキングへ
posted by 小野昌弘 at 04:24 | TrackBack(0) | 政治・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月27日

外交-diplomacy-について

英語では、日常用語で、外交的な(diplomatic)という言葉をよく使います。「あなたはdiplomaticだね」というのは、大変よい褒め言葉です。相手の立場を認めつつも、自分の主張を的確に主張し、嫌な感じを与えずに違う意見のひとを思わず納得させたり、行動を変えられることです。

"diplomatic"は、ただ自己主張が強いとか、狡猾だとか、勝負に強いとかいった意味ではないです。もっと、バランス感覚や、相手の立場の理解、適切な自己主張の方法を持った上での、人間関係の技術に長けていることです。

同じ単語を使う外交(diplomacy)は、この語の概念の延長です。ですから、外交に携わる人々は、国際交渉で国益を背負って外交的(diplomatic)になれるひとが担うべきである、ということが、自然な考えとして感じられます。

今回の日中の問題は、大局的に見れば、衝突が避けがたくなってきた情勢の変化を示しているのでしょう。では、仮に身近で(町内会などで)そうした衝突があったとき、私たちはどれだけ「外交的」に立ち振る舞えるでしょうか。あるいは、この問題をどれだけ「外交的」に考えられるでしょうか。

対外外交には、他国/自国の理解と外交技術の両方が必須でしょう。しかし、外交を担う官僚、政治家も、同じ文化で生きる、それ程変わらない人たちです。実は、私たちの「外交」の豊かさ・厚み、文化の土壌そのものが、国際関係でどのように日本が振る舞えるか、を決定しているのではと感じます。


(2010年9月25日 小野昌弘@masahironoつぶやきより, http://twitter.com/masahirono
人気ブログランキングへ
posted by 小野昌弘 at 00:10 | TrackBack(0) | 政治・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月26日

いま「ダブリンのひとびと」に感じること

日本は今こそ、他国の歴史に学ぶべき時期であると思います。メキシコ、インドもしかりですが、今日はアイルランドについて少しつぶやきます。

私の好きな本のひとつに、Dubliners(「ダブリンのひとびと」, ジェームズ・ジョイス)があります。この本は、20世紀初頭のアイルランド首都に暮らす人々の日常を繊細に描いています。それを通して、アイルランドの歴史、属国としての矛盾した感情、人間の本質まで表現しています。

長くイギリスの属国であったアイルランドは、類い稀なる政治家であるパーネル(Charles S Parnell)によって、1880年代後半に独立のチャンスを手にしかけます。
しかし、パーネルは、私生活の些細なことをスキャンダルとして大々的に取り上げられ、それを機に失脚してしまいます。

パーネルの「スキャンダル」とは手続き上の問題でした。長年事実婚として伴侶であった彼の妻は、以前別の代議士の妻でした。その代議士とは財産の問題で離婚が成立していなかったため、正式な結婚ができませんでしたが、パーネルとの間には子供も複数いました。

パーネルの事実婚は有名なことであったにも関わらず、アイルランド改革の機運が高まったときに、突如問題として挙げられ、党大会での弁明も功を奏さず、党は分裂、パーネルは失脚してしまいます。

この件については、アイルランドがカトリック国であったため、パーネルを直接は知らない人に対しては効果的な、絶好のスキャンダルであったと見ることもできます。

この「スキャンダル」は次の2つの特徴があります。1)実際には問題がなくとも、手続きが複雑であり理解しにくい、2)事情を直接知らない人に聞こえが悪く宣伝しやすい。まさに最近日本でよくみる「スキャンダル」です。

「ダブリンのひとびと」は、多面的な小説です。政治という切り口でみると、パーネル失脚の後、祖国独立の希望を失った愛国者や、イギリスによる統治の肩をもつことで生計を立てているひとたちの、日常にある矛盾した想い、祖国に対する複雑で屈折した感情、そして、政治的に前向きな状況を望めないあきらめが描かれます。パーネルを知る年長者たちは、パーネルの時代を懐かしみつつ、現実に改めて落胆しています。「ダブリンのひとびと」は、日本の状況を考えるとき参考になる小説です。

アイルランドはパーネルの失脚から40年の年月の後、武装蜂起による独立戦争を経て、北アイルランドを除いた部分がアイルランド共和国として独立しました。
しかし、パーネルが失脚しなかったとしたら、ひょっとしたら、より早い段階でのより平和な独立、あるいはより完全な独立がありえたのかもしれません。

パーネルの失脚とその後の状況は日本の状況に重なるところがあります。しかしながら、鳩山や小沢が、これだけのネガティブキャンペーンによっても、まだパーネルのような完全な失脚に至っていないのは、やはりTwitterなどで情報統制に風穴があいているおかげだと思います。

そして、もし、現状を乗り越えて日本の状況に進歩があったなら、それは世界史的レベルでの進歩だと思います。

(2010年9月19日 小野昌弘@masahironoつぶやきより, http://twitter.com/masahirono

人気ブログランキングへ
posted by 小野昌弘 at 23:57 | TrackBack(0) | 政治・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。