日本における政治弾圧の特徴は、巧妙にソフトであること。マクロにはマスコミでの情報操作、市民一人一人のミクロなレベルでは学級会な正義感・町内会的な秩序感覚が利用されていることでしょうか。カネの問題を英語に訳すとfunding scandalになってしまい、政治弾圧の性格が隠れやすい
市民の良識を、管理社会の技法にとりこんでいくやり方は、ジョージオーウェルの「1984年」を連想させます。管理社会の本質をぼかす政治的効果を持った1Q84ではなく、今こそ「1984年」が重要です。大げさなSFに見えるかもしれませんが、今の日本社会こそソフトな1984年だと思います。
いま政治弾圧に対抗して、生活を守るためには、マスコミという権力と、幼稚な市民的良識・正義感の2つと闘う必要があるようです。国民が政治には関心をもち、スキャンダルにこそ無関心でいられれば情報操作に対する耐久力がつきます。政治家は政治での良識と力量で判断されるという当然の事を望みます
昨今の政治弾圧では、一見物理的な血は流れていませんが、精神的な血は至る所で流れています。死者がでるような弾圧など存在しないようでも、マスコミは社会的死刑を主導し、検察やマスコミは実際に自殺という形での犠牲者を出す。こうした新しい形の政治弾圧に対抗するには、既存の枠組みだけでは無理なのではと強く懸念します。
問題が幅広いので、マスコミ権力との対峙・国家のありかた・各人の意識内の問題、など、さまざまなレベルでの取り組みが重要と思います。今の日本では、社会変革と国家の独立が裏腹の関係です。だからこそ、私は各自の身近な努力の集積とゆるい連帯の中に、社会と国の将来への希望を見ます。
(2010年10月4日 小野昌弘@masahironoつぶやきより)

