2010年09月22日

日米従属関係は、大学の研究の場にどのように現れているか

国際関係は抽象的なものではなく、具体的な人間関係の裏打ちの上に成り立っている側面が大事だと思います。以下私の知っている世界での例を話します。

大学の生物研究の分野(おそらく、他の多くの自然科学の分野でも)では、多くの教授に、アメリカ留学時代の「ボス」がいます。「ボス」は、たいてい、アメリカの学会において優勢な勢力であるグループの教授のひとりです。

これまで殆どの日本人研究者の留学先が、アメリカでした。はっきりと言えば、留学の目的は、こうした「ボス」との人脈をつくるためであるという認識が幅広くなされています。

「ボス」は留学時代のみならず、その後にわたり影響力を持つことが多いです。逆に、日本人は、その「ボス」のもつ影響力を利用して、学術雑誌に論文を載せたり、学会賞をもらったりします。そして、それによって得られた業績で、日本国内で出世します。これが「人脈」の中身でありメリットです。

ひとつのお話として聞いてください。某有名国立大学の教授は、大変成功したひとで、日本の学会内で最高権力層に食い込んでいる、としましょう。

彼女には、アメリカのボスがいます。彼女は、今もなお、定期的に、自分の研究室の学生とともにこの東海岸のボスのもとに通い、かれらを短期労働力として拠出しているそうです。そして、そのアメリカのボスに論文として仕立ててもらい、自分の業績にしています。

以上の内容は私が直接見た話ではありませんが、信頼できる情報として得たものです。ただし、これと同様のことを経験された方、ご存知の方は多いのではないでしょうか。(おそらく、研究の分野を問わず、さらには、研究と無関係の分野でも。たとえば企業ではどうでしょうか)

ここでは、日本で権力をふるっている人物が、アメリカの「ボス」に従属し、日本の労働力を外国のために拠出する、という構造的問題を明瞭に示している例としてつぶやきました。

私は他の世界は知りませんが、こうしたミクロな従属関係の集合体が、今の日米関係になっている、という見方もできるのではないでしょうか。

(2010年9月13日 小野昌弘@masahironoつぶやきより, http://twitter.com/masahirono

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posted by 小野昌弘 at 05:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 科学・研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

イギリスでの研究環境について

 ロンドンで生活してみると、イギリス人の感覚は、思ったより日本人に近いように感じます。日本人の欧米のイメージの源泉であるアメリカ人像とは違って、イギリス人たちに表面的な陽気さはなく、概して控えめで内気です。普段の会話でも、お互いの考えている事を慮り、相手が思うところを汲み取ってくれることを期待して話しますので、昔の日本に住んでいるようにさえ感じます。

そんなことを考えながら地図を眺めてみると、ユーラシア大陸を真ん中においてイギリスは日本と好対照をなす島であることに気づきます。両国間に感じる共通点の源泉は、こうした地理的な特徴にあるのかもしれません。なぜなら、地理的な制約は、他国との交流の歴史をある程度規定するからです。

 ロンドンは賑やかな大都市で、想像以上に多国籍社会です。研究所にも、欧州各地から研究者が集まっており、EUの経済的・文化的首都であることを実感します。次に多い外国人は、インド人であり、東アジア人は思ったよりも少ないです。最近日本人の海外留学生が減っていることが話題になっていましたが、確かに中国、韓国に比しても日本人の存在感は随分低いです。

 日本とイギリスの違いで最も大きいと感じることは、外国人に対する関係です。歴史的経緯もあるのでしょうが、イギリス人たちは外国人に対して寛容です。ごく普通の街のひとたちが、外国人を等しく人間として扱おうと意識して実践していることを、日本人は素直に見習うべきだと思います。それは、違いがあっても違いを異文化として一定の敬意を払い、相手と人間として交流するということです。そういう中で初めて、相手の立場の認容しつつ、自分の立場を適切に主張するという、人間関係と外交の基本が身に付いて来るのだと思います。

 大学人は、こうした異文化受容の度量を学問の場でも実践しています。むしろ、異なる考え方の土台に良質の研究をすることが理想のようであり、違う文化・言葉をもつことは強みです。私自身の研究も、日本ではあまり理解されませんでしたが、こちらでは方々で大変評価が高く、その落差に戸惑うほどです。こうした異文化受容の度量と、個人を尊重する文化のよい面が、若手の創造性を尊重することで、新しい科学を創り出す土壌を用意しているのでしょう。

実際、ロンドンでは、学際的研究などの新しく意欲的な試みをしているひとたちが多いです。このような新しい試みは、日米中心の『最先端』の研究とは違い、まだ有名雑誌には載っておらず、地味ですが、内容は多様で裾野が広く、歴史に根ざした欧州の底力を感じます。こうして日本人が知らないうちに、欧州では新しい科学にむけた独自の土台作りが着々となされています。一方日本は、過去の成功体験と北米的な価値観に囚われて、先進国であると錯覚しているあいだに、その実情は絶望的なまでに立ち後れてしまったように思います。これは昨今の経済状況と重なってみえます。




posted by 小野昌弘 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 科学・研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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