2010年12月07日

ウィキリークスが明らかにした問題ー英ガーディアンエッセイより

本日ウィキリークスのアサンジ氏が英警察に逮捕されました。先月28日よりウィキリークスが米大使館および国務省の公電(cable)をリーク掲載し出して以来、欧米は激動しています。ウィキリークスの問題は、ただの暴露サイトといったレベルの問題ではなく、民主主義とは何かが、21世紀的に真剣に問われている事態です。日本政府およびマスコミの態度は、外国のことだから、見なかったことにしておこう、という素通りで済ませようとしているかに見えますが、それではインターネットの進化した今の時代にそぐいつつよりよい社会にしていく可能性を失うと思います。まずは、ウィキリークスとは何か、今回の事件がどのような問題を明らかにしたのか、を考えるところから始めるべきと思います。ここで今の現状、問題の内容が分かりやすいエッセイを見つけましたので紹介します。以下は英ガーディアンからの翻訳です。

ウィキ-リークされえる世界で生きるか、それともインターネットを閉鎖するか。それはあなたの選択だ。

John Naughton, 英ガーディアン、 12/6

「良い危機を生かさない手はない」という言葉は、オバマ氏のチームが大統領選出馬のときに使ったキャッチフレーズである。この精神で、ウィキリークスによる暴露にたいする公的な反応から我々は何を学べるか、考えてみたい。

ここで全く明瞭な教訓は、今の状況は、既存の社会秩序と、ネットの文化が初めて現実にきびしく対決するに至ったことを意味していることである。これまでにちょっとした小競り合いはあったものの、今回のは本物だ。

そして、反動の動きが展開されている。まずは、存在が否定されているもののウィキリークスに提供していたインターネットサービスのプロバイダーに対する攻撃があり、その後に、Amazon, eBaym PayPalといった企業が、突然彼らの契約条件の中にウィキリークスにサービスを提供してはならない条件を「発見」した。その後、米政府は、ウィキリークスについてFacebookに投稿しているコロンビア大学学生をを脅迫しようとした。こうした旧秩序が我慢できない事態になっていることが、これまでぼんやりとしかみえない薔薇色の霧の中から垣間見えてきた。この反応は、非難されうるものであり、巧みなものであり、理解されうるものではある。それとともに、この反応の中には、民主主義およびネットの将来について案じている全てのひとたちにとって、厳しい教訓が含まれている。

ここには、リベラルな民主主義といわれるものが、ウィキリークスを閉鎖しようとしているという、実に味わい深い皮肉がある。

たとえば、米国政府がこの1年間でどれだけ立場を変えたかをみてみよう。1月21日に、ヒラリー・クリントン国務長官は、ワシントンDCにおいて、インターネットの自由について画期的な演説を行った。この演説を多くの人々は歓迎し、グーグルへのサイバーアタックを行ったとして中国を非難するものとして受け止められた。「情報はかつてないほど自由である」とクリントンは宣言したのである。「独裁政治が行われている国家でさえ、情報のネットワークは、人々が新しい事実を発見すること、政府に説明責任をはたさせることを支援しているのだ。」

クリントンは2009年11月の訪中の際に、先の言葉に続くものとして、バラク・オバマがどれほど「人々が自由に情報にアクセスできる権利を擁護していたか」について語った。「(オバマは)より自由な情報があれば、より強い社会が得られると言った。オバマは情報にアクセスすることは、市民が政府に説明責任を果たさせ、新しい発想を生み出し、創造性を促進させるうえでどれほど重要かについて語った。」今我々が知っている事について鑑みてみると、クリントンの演説は傑作の風刺文章として読むことができる。

おそらく、西側民主主義国家の政治のエリートたちがどれほど彼らの選挙民たちをだましてきたかが晒されてしまったから、政府関係者たちはヒステリックに反応しているのだろう。

リークは米・英・欧のアフガニスタンへの冒険がすっかりしょげてしまっていることを明らかにしただけではなく、さらに重要なことに、米国、英国、および他のNATO諸国の政府が、非公式にそれを認めているということを余すところなく明らかにしている。

問題は、彼らが自国の選挙民、すなわちこの馬鹿げた事業に金を出している納税者でもありえる人たちに顔向けできないといことなのだ。リークされた米大使からアフガニスタンへの特電をみれば、カルザイ政権が、70年代に米国が支えていたサイゴンの南ベトナム政権と同じ位汚職にまみれており、能力がないということを鮮やかなまでに確認できる。また、このリークは、米国がベトナム出そうであったのと同じように、アフガニスタンの政権の囚われ人となっていることも明らかにしている。

ウィキリークスの暴露は、米国とその同盟国が、アフガニスタンを生存可能な国家に変えること、ましてや、民主主義を機能させることになど何の見込みもないのだということを晒している。リークをみれば、このトンネルの先には一筋の光明も見えないのだということが分かる。しかし、ワシントン・ロンドン・ブリュッセル(米・英政府、EU)の政治エスタブリッシュメントたちは、この現実を認められないのだ。

アフガニスタンは、この意味において、ベトナムとおなじような形で、泥沼なのだ。唯一の違いは、戦争が徴兵された軍によって戦われているのではなく、また我々は絨毯爆撃を行っている文官ではない、ということだけだ。

ウィキリークスへの攻撃をみて、クラウド・コンピューターのプロバイダーがどちらの立場にいるかについて薔薇色のファンタジーにひたっている人たちは目を覚まさなければならない。これらは、Google, Flickr, Facebook, Myspace, Amazonといった会社であり、これらの会社はあなたのブログやデータ保管庫をネットのどこかの上で提供して、またネットのどこかに存在する『ヴァーチャル」コンピューターを貸し出している。これらの「自由」な使用と、決済サービスを使うときの使用条件によって、これらの企業は、自社の利益にかなっていると思われるときにあなたのデータ内容を置いておく、という立場を確保しているのだ。ここでのモラルは、クラウドコンピューティングではあなたの信念をおいておいてはいけない、もしそうしたならばいつかそれは台無しになるでしょう、というものなのだ。

Amazonのケースをみてみよう。Amazonは、情勢が厳しくなったその瞬間に、ウィキリークスをAmazon EC2というクラウドサービスから追い出した。どうやら、Joe Liebermanという米国上院議員がごう慢病の末期患者らしく、この件についてAmazonを威嚇したのだ。後にLiebermanは、「Amazonにウィキリークスとの関係の深さについて、また、Amazonおよび他のプロバイダーが、各社のサービスを将来盗まれた機密情報を配布することに使わせないために何を行うつもりなのかについて尋ねた」と堂々と述べた。これを受けて、ニューヨーカー誌のAmy Davidsonは、Lierbermanに対して。「ニューヨーカーがリークされた機密文書を含む内容を用意しているとき、Lierbermanあるいはほかの上院議員がニューヨーカーを刷る印刷機を操縦している会社に電話をかけ、その発行を止めるように言うことができると思っているのかどうか」について尋ねた。

ウィキリークスが現実に晒しているものは、西側の民主主義システムがどの程度空っぽかについてである。この10年間で、政治のエリートたちは、無能であったこと(アイルランド、米国、英国が銀行を規制しなかった)、汚職にまみれていたこと(兵器売買に関わった全ての政府)、そして無鉄砲なまでに軍国主義的であったこと(イラクにおける米国と英国)が明らかになった。しかしながらこれまでこれほど効果的なやり方で、このエリートたちが説明を求められることはなかった。そして、エリートたちは説明をする代わりに、自分たちのやり方をあいまいにして、嘘をつき、怒鳴りつけてもそのやり方でやり通してきたのだった。そしてついに、秘密のベールがもちあげられたとき、エリートたちの反射的な反応は、その配達人(アサンジ)を殺せ、というものであった。

Simon Jenkins は最近ガーディアンに、「暴露はやっかいなことであり、モラルと法の境界を試すものだ。暴露はしばしば無責任であり、たいてい困惑させるものだ。しかし、何も規制が行われず、政治家たちが服従させされ、法律家は沈黙し、聴衆は堕落していたとき、暴露というものが最後に残されたものなのだ。説明責任は、結局のところは、暴露になる。」 我々の民主主義国のかんかんになった官僚から聞こえてくるものは、ネットにより服をぼろぼろにされた王様たちの不機嫌な叫び声なのだ。

この論争の大きな意義にもどろう。西側民主主義国家の政治のエリートたちは、インターネットは独裁政権の側だけではなく、彼らの側にも突き刺さるとげなのだということを理解した。エリートたちとその代理店たちがネットを踏みつけようとしている様は、狂った半盲の巨人がもぐらたたきをしているかのようであり、喜劇ですらある。おびえたインタネット企業たち(これまでのところTwitterは例外だが)が彼らの意思の前に屈服している様子をみると、深く憂慮せざるをえない。

しかしながら、今、政治家たちは苦しいジレンマに直面している。古い、モグラたたき的アプローチは通用しない。ウィキリークスはウェブテクノロジーに依存しているだけではない。これらの公電文書(cable)の数千、いや多分それ以上コピーが、BioTorrentのようなピアツーピア技術により、ウィキリークスから外に拡散しているのだ。我々の統治者たちは、選択をしなければならない。ウィキ-リークされえる世の中に住むのか、ただしこれは統治者達の将来の行動について含まれている意味すべてを受け入れた上で、になる。それとも、インターネットを閉鎖するのか。政治家の皆さん、さあ、どうぞ。


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2010年11月05日

沖縄の基地の負荷に対して怒りがふつふつと沸き上がっている(1) 沖縄が怒りに目覚める

BBC沖縄特集よりー沖縄の基地の負荷に対して怒りがふつふつと沸き上がっている
沖縄問題について、10月頭に英BBCが詳細な特集を組みました。前回第2部を全訳しましたが、今回は(一部しかツイートしていなかった)第一部 沖縄が怒りに目覚める について全訳しました。ここでは沖縄での基地問題の本質が語られ、その出口としての、まさに今月に予定されている沖縄県知事選と、その立候補者である伊波洋一氏について言及されています。

BBC沖縄特集より

沖縄の基地の負荷に対して怒りがふつふつと沸き上がっている(1)
沖縄が怒りに目覚める


(基地を望む写真)解説:沖縄中部にある米軍基地。周囲には密集した住宅地がみえる。

日本の沖縄島は、いやいやながらも何十もの米軍基地を引き受けているーそして、(普天間)飛行場を移動することをめぐる紛争は、ついに怒りを目覚めさせた。

首里城は沖縄の首都、那覇の岡の上にあります。この城は、日本と台湾北部の諸島を統治した王である琉球王の宮廷として使われていました。城は優雅な赤い建築で、ここで王たちは使者を迎え、アジアをまたにかけた貿易を行っていました。

今は城は日本の最南端の県である沖縄県における観光地のひとつになっています。城からは、密集したアパートやオフィスを眺めおろすことができます。

城から北に行く道は渋滞しています。20kmにわたって途切れる事のない渋滞です。この道沿いに米軍基地が幾つも控えているのです。

高いフェンスに掲げられている札に書いてある通り、沖縄人にとってこの向こうの区域は「立ち入り禁止」であり自分たちの境界外です。

基地の反対側にはバーや中古車店があり、メキシコ料理屋まであります(訳注:アメリカ的な場所であることを強く連想させる)。輸送機や戦闘機が頭上を飛んで行きます。

基地は沖縄島のほぼ5分の1を占めており、日本にある全ての米軍基地の74%が、この日本国の1%に満たない島の上にあるのです。

沖縄人は数十年にわたって、これは公正な事態ではない、と訴え続けていました。そして、この4月には9万人の住民が集まり、この15年で最大の反対運動をするに至ったのです。

「沖縄人は、国の安全保障の必要性については分かっているが、なぜ沖縄が、これほど多くの割合の米軍基地を引き受けなければならないのかを理解できないのです。多くの人は、私たちは同じ日本人なのに、どうして沖縄人だけがこの重荷を背負わなければならないのだろう、と考えているのですよ。」と、沖縄県基地問題課のNaoya Iju氏が言いました。

『混雑した島』

沖縄の地図。基地を赤色で示してある。(注、訳者による印象:一見して島の面積の相当大きな割合を基地が占めていることが一目然にわかる。)

沖縄は19世紀の終わりに日本により強制的に併合されました。最後の琉球王であり首里城の主であった尚泰侯(Sho Tai)は1901年に東京で亡くなりました。そして沖縄の日本化が実施されていったのです。

第二次大戦の終わりに伴う日本の降伏とともに、日本政府は米国に一時的に沖縄の施政権を引き渡しました。

米国は、こうして基地のための土地を手に入れ、今ここは日米安保同盟の礎となっています。簡単に言えば、米国は日本を守り、変わりに日本は米軍を駐留させ、経費を払う、という関係です。

今日、26500人の米軍人が、沖縄の30以上の米軍基地にいます。

この基地の中には、嘉手納の巨大な空軍基地と、北部の広大な密林演習場が含まれています。そして、言わずもがな、それに加えて、住宅や学校が基地のフェンスのすぐ隣にあるような宜野湾市のど真ん中にある米海兵隊基地である普天間基地が含まれます。

日米両政府は、この不安定でますます国家間が競合している地域にあって、これらの基地は安全保障を維持するうえで必須のものである、といいます。

基地支持者たちは、基地の恩恵について語ります。沖縄は、日本で最も貧しい県であり、基地関連の収入が、沖縄県の収入の5%にのぼるのです。

9000人以上の住民が基地に雇われています。基地が借用している土地をもつ地主には高額の土地使用料が払われ、基地を抱える自治体には特別補助金が支給されています。

しかし、基地反対の人は、飛行機の騒音と交通の遮断という問題を指摘します。何せ車は基地を迂回して走らねばならないのです。また、反対のひとたちは、基地関連の犯罪率が高いことについても抗議しています。そして、沖縄人は、日本一高い出生率なのであるから、生活して行くための土地がどうしても必要なのだといいます。

また基地反対のひとは、基地が沖縄の文化的同一性を浸食して壊していること、特別補助金が、依存の文化をつくり出してしまっていることを問題視しています。そして、もし基地の土地が返還されたならば、経済の活性化につながるであろうともいいます。

『偽りの希望』
この基地問題についての抗議行動は幾つかの波がありました。第一次の波は1972年でした。このとき沖縄人は米国から日本に施政権が返還されたのにもかかわらず、基地が閉鎖されない事を知ったからです。第2次の波は、1995年、アメリカ軍人による12歳の少女レイプ事件を契機に起こりました。そして最も最近の波である第3次の波は、2009年6月に首相に就任した鳩山由起夫氏が、普天間基地を県北部に移設する合意を覆して、沖縄県から撤去することを示唆したことを契機に引き起こされました。

「そのときまではどの政治家も、沖縄の基地を減らすとは言わなかった。民主党がそれを語ったことで、沖縄のひとは希望を持ったのです」と基地の移設が予定された名護市の市長である稲嶺進氏が言いました。

この希望の波の中で、沖縄人は、4人の反基地の国会議員を選出しました。この同じ波が、1月には稲嶺氏が反基地の立場から市長選を戦い、勝利したことにつながりました。

そして4月の大規模な抗議集会が開かれました。沖縄県は全会一致して沖縄からの基地撤去を求める要求を支持採択しました。17000人のひとが人間の鎖をつくり普天間基地を取り囲みました。

しかし、その後米国の強い圧力のもとに、鳩山氏が後退しました。5月に鳩山氏は基地移設地の代替案をみつけられず、基地移転を予定通り進めなければならないという「悲痛な結論」を下しました。そして鳩山首相は辞任したのです。

沖縄人は激怒しました。現地メディアは裏切りと呼びました。なぜ、この国の他のどこかに基地を移設するよりも
沖縄に基地を置いておくことのほうが優先されるのだろうか、と人々は問いかけました。

それ以来怒りがなくなったわけではありません。車やバス、建物に「平和な」沖縄を支持する印がつけられている。現地メディアも反基地の態度を変えていません。

『差別』

琉球大学大学院法務研究科高良 鉄美教授は、この問題はただの移設計画よりも大きな問題だと言います。

沖縄人は、自分たちの声が、日本政府によって何十年も無視され続けて来たと感じています、と高良教授はいいます。

日本の一部になって以来、沖縄人は自らの運命を自分で決めることができませんでした。第二次大戦中は、沖縄は日本に置ける唯一の地上戦の場所となり、1960年代には米国の核兵器が沖縄に設置され、1972年に米国施政が終了したのにも関わらず基地がそのまま残ったのです。

沖縄人の権利は常に日本の安全保障上の懸念事項よりも下位に置かれ続けてきました。「沖縄人は、差別されているのです。それが最も根本的な問題なのです。」と高良教授はいいます。

高良教授は、この点は本土ではよく理解されていない、といいます。

「私たちが4月に抗議行動をしたとき、本土のひとたちは、米軍に対して抗議していたと思ったようですが、そうではありませんでした。」「日本政府から我々が受けている扱いが首を傾げたくなるような事ばかりだから抗議していたのです。」

沖縄県のNaoya Iju氏は、多くの沖縄人は、自分たちが2流市民として扱われていると感じているといいます。

「私の母は、基地で働いていました。そして、私は基地があるから、英語を学んでいました。しかし、だんだん多くのひとがここに何かおかしなことがあると考え始めるようになったのです。」と若い公務員が言いました。

移設案は抗議の波をひきおこしましたが、今は11月に控えている沖縄県知事選挙のために、一端休止状態になっています。

沖縄県知事は、基地の計画を進めるための許可を出すことも、止めることもできます。そしてこの知事選に、ゆるぎない反基地論者として知られる宜野湾市市長、伊波洋一氏が立候補し、基地移設案に対する態度を曖昧にし続けている現職知事に挑むのです。

伊波氏が勝利したならば、日本政府は、自国民と自国民が民主的に選んだ代表を権力でおしつぶすのか、日本の重要な安全保障関係を困難なものにするのか、の二者択一を迫られることになるでしょう。

沖縄人は、毎日街頭で抗議行動はしていません。しかし、沖縄人は、知事選を注視して待っています。そして多くのひとが、この選挙を、自分たちが感じている事をかたちにできる機会として待ち望んでいるのです。

高良 鉄美教授の写真。黒い帽子をかぶり、黄色い半袖シャツを着た男性。
解説:高良 鉄美教授は、「沖縄人は、自分たちの怒りをかたちにするために、知事選の日をまっている」、といいます。



「沖縄人は、差別されているのです。それが最も根本的な問題なのです。」(琉球大学、高良教授)


ー沖縄を時系列で

1429 Sho Hashi王が琉球王国を樹立し、首里城を居と構える。
1609 薩摩藩が侵攻し、属国関係を結ばされる
1872 日本が琉球王国を封建制に組み入れる。1879には強制併合する
1945 4−6月 推定10万人の沖縄人が沖縄戦で死亡
1945 8月 日本の降伏。米国が沖縄を支配
1972 沖縄が日本に返還/米軍基地はそのまま残存
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2010年10月30日

BBC沖縄特集よりー沖縄の基地の負荷に対して怒りがふつふつと沸き上がっている(2) 基地対入り江

沖縄問題について、10月頭に英BBCが詳細な特集を組みました。まず、第一部、行き詰まる沖縄については一部ツイートで紹介しました。今回、第2部、辺野古問題について全訳しました。

沖縄の基地の負荷に対して怒りがふつふつと沸き上がっている(2)

基地 対 入り江

 
(写真:美しい入り江。美しい透明な明るい青緑色の浅瀬と小さな島、緑に満ちた海岸がみえる。(訳者による描画)[写真解説]ー絶滅の危機に瀕するジュゴンは辺野古付近の海の中に育つ海藻をえさとしています。)

日米政府は普天間基地を沖縄の中央から辺野古の小さな村に移設しようとしています。しかし、地域住民は、計画を挫折させるために自分達が出来る全てのことをしているのです。

マンちゃんの母は、第二次大戦の終わりがけに沖縄北部の洞穴の中でうまれました。彼女はキャンプシュワブ(米国海兵隊基地)に向けて辺野古港の防波堤でボートを操縦しながらこのことを語ってくれました。彼女はキャンプシュワブから300メートルのところにある、入り江になった砂浜をもつ小さな島にボートを泊めました。

彼女は湾の向こう側を指差して、「あれがジュゴンの餌場です。」といいます。ジュゴンとは、日本で深刻な絶滅の危機にあるマナティー様の生き物です。

「そしてここは滑走路が建設されるところです。どうしてこんな美しい場所に基地を作ろうと思うのでしょうか」

マンちゃんはMichuru Sakaiという本名で、辺野古の座り込みテントの反対運動家のひとりです。

(写真:白い帽子をかぶりサングラスをかけ、日に焼けた若い女性。(訳者による)[写真解説]ーマンちゃんは数年にわたり辺野古で反対活動をしています。)

97年以来、普天間基地を辺野古の新しい沖合基地に移設する計画が明らかになった翌年から、辺野古住民は反対運動を始めました。

座り込みテントは辺野古移設への抵抗のシンボルです。

それだけではなく、基地が海洋生物に壊滅的打撃を与え、沖縄ジュゴンの数少ない繁殖場を破壊すると主張する環境活動家からの支持も得ています。

また、おなじように地域議員からも支持されています。「新しい基地は、地域の生活と文化、そして海洋生物に大きな影響を与える」「辺野古に座っている人々は、政治的ではない、彼らは彼らの生活がおびやかされているからそこにいるのです」(稲嶺市長)

「危険な基地」

全てのひとは、普天間基地の閉鎖に賛成します。普天間基地は沖縄中央部の宜野湾市にあり、密集した住宅、学校、商店に取り囲まれています。


住民は飛行機の騒音に悩まされ、事故を懸念しています。実際既に2004年にー死傷者はいなかったとはいえー地域の大学(訳注、沖縄国際大学)にヘリコプターが墜落しました。

ドナルド・ラムズフェルト氏は2003年に普天間を飛行視察して、「世界で最も危険な基地」と述べたと言われています。

15年前に、沖縄の小学生が輪姦された事に対する激怒の中で、日米は沖縄における米国基地を減らす取り決めについて話し合い始めました。

8000人の米海兵隊員がグアムに移動し、普天間は閉鎖され、土地は返還されることになります。そして、代替施設が辺野古に建設されることになるのです。

現計画では、キャンプシュワブ沖を埋め立てして1−2個の滑走路を建設することになっています。

(辺野古滑走路計画の地図および航空写真)

辺野古地域は失業率が高く、基地建設地域には住民が少ないので、住民に影響せずに職の提供ができるという理屈は通っているようです。

しかし、多くの住民は辺野古移設に反対しています。

環境活動家は海の埋め立てで希少な海洋生物ー亀、さんごなどーに害を与え、沖縄ジュゴンの知られている最後の繁殖場に直接影響するであろう、といいます。

ジュゴンは、辺野古地域にある、透明で日照のはいる海の中で生える海藻を餌としています。餌場の海溝では、ジュゴンが海藻を食べながら海底に沿って路となっている穴から出てくるといった様子が、基地計画地から4kmのところにある2つの入り江で観察されています。

ジュゴンネットワーク沖縄の細川太朗氏は辺野古地域全域に特別な保護が必要であるといいます。

「もちろん基地は大きな影響を与えます。」と言って細川氏は、飛行機の騒音、公害、埋め立てによる海藻への損害といった問題を挙げました。そして、「基地建設をしていない現状でも沖縄ジュゴンは絶滅しつつあります。しかしいったん基地をつくったら、絶滅の時期が早まってしまいます。」と言います。

住民は基地関連の犯罪なども懸念しています。また住民はいったん了承してしまうと基地計画が拡大するのを止める方法がないと強く思っています。既に96年の小さなヘリポート計画から、2010年には大きな二つの滑走路にまで計画が拡張しています。

米国沖縄総領事のレイモンド・グリーン氏は多くの選択枝を検討して実践上運用できてかつ環境と地域住民に与える影響が許容範囲内である場所を探したといいます。
「辺野古はこれらの条件のすべてについて最低限の許容範囲に入る唯一の場所でした」「辺野古はいまある制約を考えたうえで最良の場所であった。」とグリーン氏はいいます。

グリーン氏は、現在日本政府が実施中の環境アセスメント(EIA)が何らかの問題を見つけた場合には、米国は適切に協力対応する用意がある、といいます。

このプロセスにはしばらく時間がかかります。沖縄県側は初期の環境アセスメントについて300以上の質問を提起しています。

沖縄ジュゴン対ラムズフェルトという法廷闘争も米国裁判所で行われているところです。

「金の政治」

最近になって地域の議員たちは、大きな反対の力になりました。これは大きな転換です。

辺野古は名護市の一部であり、97年に名護市市民は住民投票で基地計画を拒絶しました。しかしながら、当時の比嘉鉄也市長は計画と市に対する大きな補償金を受け入れました。

この資金投入については、地言いに散在する大きな市民会館をみれば明らかです。しかし反対者たちは、補償金は土建業者と権力を持つ基地推進議員に利益をもたらした一方で、実質的な経済効果は生まなかったといいます。

2010年1月に、日本政府が沖縄から基地を撤去するという楽観主義の雰囲気の中で反基地の土台のうえに稲嶺氏が名護市長として選ばれました。

稲嶺市長は、基地関連の補償金に頼るのではなく、エコ旅行と農業部門を発展させるべき時期にあると言います。

9月12日の名護市議会選挙で基地反対派は反基地候補を支援し、16人が当選、稲嶺氏は27人の市議会で確実な多数を確保しました。

琉球新報は、「山が動いた。」2つの政府(日米政府)は民主的プロセスを尊重し、「辺野古の人々の意思を尊重した決定を行うべきである」と報じた。

稲嶺氏は地域の声に耳をかたむけてもらえるようになることを期待しています。

「日本政府は、大きな権力をもっており、法的にわれわれは非力です。しかし、ここに住む人々は、われわれが持っているルーツと、歴史と、ともに協力することで守るべきものを持っているのです」と稲嶺氏は言います。

普天間では、名護市の人々は利己的だと考えるひともいます。「この基地が危険だというなら、どうして、海のほうを人々の生命よりも尊重するのか?」と基地近くに住む女性が言いました。

しかし、ーこれは東京とワシントンを落胆させることですがー 辺野古での揺るぎない反対は消えることはないのです。

沖縄のジュゴン(写真つき:模型)
1.マナティー様の哺乳動物であり、海の牛としても知られる
2.深刻な絶滅の危機(critically endangered)ー現在の総数は50以下であると推測されている。
3.辺野古の西海岸を餌場としていることが知られている。沖縄島のほか2箇所に生息している可能性もある。
4.オーストラリア、パプアニューギニア、フィリピンに、より大きなジュゴンの集団があることが知られている。 

沖縄ジュゴンを写真で


(写真:老人が"NO BASE"とかいた簡易椅子に座っている(訳者)。[写真解説]この年金生活者は、13年間反対運動をしているひとの一人です)

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訳注1)http://www.city.nago.okinawa.jp/DAT/LIB/WEB/1/keii-201003312.pdf (住民投票は、条件あり、なし、それぞれについての賛成、反対で行われた(つまり4択)。結果は、条件なしの反対16000と、圧倒的多数。一方で賛成は、経済効果などの条件付きが11000、条件なし賛成は2500のみ。)

posted by 小野昌弘 at 21:07 | TrackBack(1) | 沖縄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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